議会報告会について

議会報告会について

率直な私の私見。ちょっと極論的かもしれないが、少し書いてみたい。もともと私は議会報告会は、必要ないと考えている。全国の地方自治体の中でも、かなり開催されているこの議会報告会。つくば市でも「議会のオープン化」が必要だ!とのことで、特別委員会を設置して、取り組み始めた案件だ。議会改革ということらしい。

議会とは?議会としての意見?議会の公開性!オープン化!もちろん議会で繰り広げられていることに何の後ろめたさもない。奇々怪々、摩訶不思議な議会の様子を市民に如何に知っていただくか?事実はどうなのか?これを正確に市民に伝えるにはどうしたらよいのか?日々の活動で議員自身が毎日四苦八苦していると言えよう。

ではなぜ、議会報告会なるものを開催したり、議会改革をしなければならないのだろうか?素朴な疑問だ。私は、事実として一般市民の方が、議会の傍聴を見る機会がほとんどないためではないかと考えている。一般市民の方は、普段は自分の生活で手一杯だから、議会を傍聴する時間がほとんどないのが現実だ。また、実際に時間や暇があっても、わざわざ議会に傍聴する人は、ほんの少しだろう。実際に。だから議員としては「もっと傍聴に来てほしい」と考えている。そうすればわざわざ議会報告会などと面倒くさいことをやる必要はないのだから?

これは市民に対して非常に軽蔑した見方を表現するから批判が出るかもしれないが、私は一般市民(大衆)は、非常に欲得だけの意見が強いと感じている。当然です。近くの街路灯を設置してほしい。道路を直してほしい。税金の無駄遣いを直してほしい。縁石を自宅の出入り口を自分のところだけ撤去してほしい。待機児童だが、遠い保育所は空いているが近くがいいので、そこに入れるようにしてほしい。公式公認の記録会ができる陸上競技場を作ってほしい。しかしあんな大規模なお金は掛けすぎだから一度白紙にしてほしい。水道料金の値上げは反対だが自分のところへは早急に整備をしてほしい。未整備地区の整備のために、なぜ我々の整備された水道料金を上げる必要があるのか理解できない。隣の家の木を切ってほしいと隣の地主に行政から言ってほしい。子供が通える公立高校が少ないから作ってほしい。なぜ都市計画税を払っているのだから道路を新しく設置できないのか?せめて自分の家の前の道路くらいは新しくしてほしい。都市計画の線引きを直してほしい。過疎が進む地域なのになぜ調整区域なのか?家が建てられないではないか?都市計画を見直してほしい。相続税があるから後継者がいない。相続税を無くしてほしい。金持ちからもっと税金を取ってほしい。コミニティバスをつくば市内の回してくれればタクシーは使わずに済むから回してほしい。他にもまだある。議員の活動をしていると枚挙にいとまないほどの意見、要望がある。これが一般市民の方からの声だ。これが現状だ。

当然、鼻から無理な話もあるし、中には時間がかかるが実現できるものもあるし、すぐに対応できるものもある。その実現の可否の幅もいろいろだ。

議員とは選挙で一定の支持者があって、当選して議員となっている。一人の議員としては、その地域の代表?一定の政治理念の代表?一定の支持団体、組織の代表。いろいろな意見の代表者でもある。その支援がなければ議員に当選できないし、その支援者の意見を代弁する役目を議員として持つのは当然のことだと言えるだろう。それが議員としての役目でもある。つまり、議員とは、各論の意見で選出されているのである。議会でもその各論を戦わせて行っている。その議会での様子は、私が言うのもなんだが?まさに議論白熱して、議員としての意地にもかけて必死で戦わせているのが実情だともいえる。

しかしながら、困ったことに、この議会での白熱している様子や議論の中身が、一般市民になかなか伝わらないというのが実情なのだ。議会の傍聴者もほとんどこないのが実情。もっとも先にも述べたが実際に一般市民の方は、ご自分の生活が手一杯だから、その代理者として選挙で議員を選んでいるわけだから、これが議会制民主主義の合理性を物語っているといえるだろう。しかしながらこの効率的な議会制民主主義を行っていながら、やはり市民の方は、政治に対する不満があるのが実情だ。それは先にも話したとおり、「本当の議論をしているのか?」という「知らない」ことへの不満、自分の選んだ議員への不信もあるし、他の議員への不信もあるためだと思う。

そこで議会改革としての議会報告会や議会のライブ動画を配信することも進んでいる。つくば市も現在は、議員の一般質問、本会議はライブで閲覧できるようになっている。また最近の議員は、自分の活動をFacebook、TwitterなどのSNSのツールを活用するケースが増えて、広報活動をしている。その活用によって広報の幅が広がったと言えるだろう。いいことだ。さらに私もそうだが、他にも自身で後援会の広報誌、活動報告などを何全部もつくば市内に配布する活動もしている方も多い。もっともしていない方もいる。議員の活動もまちまちだ。

今回の議会報告会は確か5回目。つくば市は旧6ケ村が合併したが6つの旧村エリアで開催した。議員の中の意見も当然いろいろだが、私は、参加者は多いとは言えない。もちろん参加した方は、非常にいい評価だ。普段、聞けないことを聞く機会が与えられたと感想は非常に良い。議員同士の論議を聞けることに対しての高評価だと言えるだろう。

私は、議会での議論の様子を見れば、おそらく大方の市民の方は、それなりに評価していただけるのではないか?とも思うし、安心していただけるのではないか?と思う。だから「議会傍聴や委員会傍聴を見てくれれば」いいのではないかな?とも思うのだ。しかし、一般の市民の方はなかなか議会に行けない。

だったら、出先の出張議会もいいのかな?とも思う。しかし、議会の権威性やまた現実的に議会運営の事務レベルの現状(議事録を記録するシステムなど)を考察すると非現実的なのだとも思う。(議事録などの記録を取るためには・・・出張議会には問題が)

議会報告会の方の参加者をアレコレと評価するのは申し訳ないが、いつも同じ方が参加している人がいる。つまり意見を主張する人はいつも同じ人。よく「ノイジーマイノリティ」という。「声高な少数派」ばかりが議会の報告会でも参加する。今までの議会報告会でも毎回参加する方がいる。その方の意見は、もちろん聞くが?この議会報告会の本来の趣旨は、普段、なかなか議会に傍聴できないような方に参加してもらうべく開催していることを考えると、報告会の進行上はやむを得ないが少し遠慮してもらわなければならない。しかし、今回も参加者は決して多いとは言えない。逆に私は非常に少ないと言える。本来は「サイレントマジョリティ」「物言わぬ多数派」の考えを知る必要があるともいえる。これが議会報告会の趣旨でもある。

しかしながら、議会報告会の参加者は本当に少ない。5回開催しても本当に意味があるのか?とも感じる。

普段、私は、議会が終わったら、会報誌を作成して、旧さくらエリアに配布している。これを繰り返している。おそらく形は違うが他の議員さんもその自助努力を繰り返しているのだと思う。単純作業で大変な作業だが、やはりこれを繰り返して、議員自ら、自分の考えを市民に訴えて、その批判や同意を得る活動を繰り返すことに尽きるのではないだろうか?議会報告会をやったとしても、それが本当の問題解決になるのか?非常に疑問を感じる。市民の意見は聞くことができる可能性はあるが、ほとんどが「ノイジーマイノリティ」だ。そして、あくまでも市民の各論問題を聞くに過ぎない。

議会での議論や採決の結果は、各論で決定するものではない。各論と各論を戦い合わせて議論を重ねて、最後には総論として選択をすることが議員としての役割だとも思うからだ。またこれが議会制民主主義の政治結果として、一番確実性と安全性を担保しているからだ。

例えば、私の後援者が私に「水道料金上げたら、お前を応援しないぞ」と言われて、「はいそうですね。」と迎合して、各論のまま議決を選択したら、水道事業の経営改善などできないだろう。「値上げをしないでほしい」という各論は理解するが、経営改善を目的とするための最善の策を決断する、総論での決断をしなければ、良識な決断はできないだろう。
これは行政側の立場でも同じことが言えよう。前期の市原前市長が昨年の大きな話題になった「総合運動公園基本整備計画」の件でも、議会の答弁の中で、「市民に対して行政としての正確な情報がなかなか伝わらない」とコメントしているが、市長としての苦悩を現した表現としては理解できる。これは逆に我々、議員の立場では言えることだ。実際には、意図していないことであっても、政治の結果としては、まったくの真逆の評価として見られるわけだ。誠に政治は奇々怪々、摩訶不思議な世界なのだ。

話をもとに戻す。昨日の市民の方からの質問に対して、議員は、実際は執行者(行政の運営者)ではないから、正確な情報を答えることができない面もある。ましてや議員は、政治理念や政策理念などで、各々、それなりの考え方の個性があるわけだから、個性がある分、当然に偏った表現になる場合がある。昨日の答弁でも、担当した議員がその説明をしていたが、やはり最後は自分の意見として偏りがちな説明になっている印象をもった。

議員がみずから、問題の事実を市民に伝えて、そして議員として自分はどのように問題を捉えているのか?そして、そのためにはどのような考えなのか?しっかりと事実を市民に伝える努力が必要だ。その答えは、最後は、選挙の結果として与えられる。市民から認められなければ選挙で落選するし、出馬もできないような状態にもなるし、認められれば、当選もできるし、みんなからまた政治家をやってくれという声も自然と上がってくるものだ。

誠に政治は難しいとも感じた。と同時、議会報告会が本当に必要なのか?どうなのか?

つくば市は総合運動公園の整備事業で、住民投票まで行った政治的な歴史がある。住民投票もやったからと言って、問題解決にはなっていないわけで、流行りのような政治手法が本当にいいものなのか?どうか?基本中の基本から見つめなおす必要を感じる。

ながながとアレコレとつぶやきました。ご意見、ご批判もあれば・・・。^_^