菊池桃子さんの発言

菊池氏のPTA活動が重荷の発言は、確かにPTA活動の現状を表す象徴とも言える。

私は敢えて否定はしない。私は中学校で4年、本部役員をやっている。小学校に至っては、間の中休みはあるが、計算してみても5年近く本部役員をやっていることになる。来年も会長職は再任だ。4月からのPTAの人事でも私は会長として再三に渡って、是非、「男性の方を選考して欲しい」と要請したが、結局のところ、私一人だった。旦那さんが仕事で無理だから結局のところ、お母さんがPTA活動に参加することになる。おそらく他の小中学校のケースも当てはまる現状ではないだろうか?お母さんも子育て以外、仕事も両立して生活しているから、余計にPTA活動が重荷のなるわけだ。

菊池氏の発言は、敢えてPTA活動の問題点の実態を、女性の立場で、働く母親の立場で俯瞰した見識で「ワーキングマザーの重荷」を提言したことが、ネットからの称賛の声ということになったのだろうと考えられる。

 

文部科学省もこんな日本の現況を把握できているか?どうか?今一度、国の担当としても見識を深めてほしいとも思う。
少子化を克服するためには、『夫婦が子ども3人以上産み育てて行く事が現実的に必要だ』と、考えるのは、政府であれ日本の国民の中でも言葉として理解できる。そうしなければ増えないからだ。至極当たり前だ。

それでは少子化を克服するためには具体的には何をしなければならないのだろうか?私は政治家としては、その具体策を提言する立場にあるので、政策としては何ができるのだろうか?最近、いつもその具体策を考える。政府自民党もようやく保育士の賃金アップの活動をしているようだ。
あの手この手で、できるものは何でもやるという気概がなければならないと思う。

菊池氏の発言によって、「ワーキングマザーの重荷」をどれだけ軽減させる事ができるのか?社会的なる啓蒙活動は必要だ。「ワーキングマザーの重荷」をそれでは何をどう変えていくかが大事になる。ただし、軽減するためには、PTA不要論のような短絡的な議論は、慎重であって欲しい。単に、それを壊したからといって問題の解決には何もならない。

一般的には大したことではないと言われがちだが、例えばPTA会長や役員、委員長を決める時に、今では、「じゃんけん」や「くじ引き」で決めることはなんら不自然なシーンでなくなっているようだが、私は、このような考えは、大人社会ではするべきではないことだと思っている。子どもが決める決めごとはどうしても決まらなければ仕方がないと言えようが、私たち親のPTAの役員決めの時に、「じゃんけん」と「くじ引き」では、子どもたちに示しがつかない。これは重要な道徳規範を親自ら責任を放棄していることにもなる。「一番平等だから」とか「公平だから」とか?言う人もいるが、前々違う。はなしにならないと思う。どんなに大変でもそんな決めごと位は、話し合いで決めていかなければ大人の人間として恥ずかしいことなのだ。むしろそんな親の考え方を啓蒙していかなければならないと思う。

「ワーキングマザー」の重荷も、その重荷自体が、喜びや生きがいに変化してくれば、問題にもならないし、むしろ反対に「ワーキングマザー」の生きがいに変化することは可能なはずだと思う。母親たちの負担や重荷を父親たちがどのように「喜び」や「生きがい」に変化させていくべきなのか?その考え方を父親がどのように持つべきなのか?今一度、考える必要があるのではないだろうか?

PTAの役員決めの時に、母親ばかりが出てくるから、「じゃんけん」や「くじ引き」が当たり前になっている風潮があるが、父親が出てきてくれれば、そんなことには、なりにくくなるだろうと思う。男の大人が仕事の場では、「じゃんけん」や「くじ引き」で戦っていたら、こんな楽な話はないし、それで給料をもらっていけるほど現実はあまくないから、話し合いで決めるようになってくるはずだと思う。

児童クラブの問題でも、運営規模の大きい児童クラブの代表になる人の負担は、多大なものになる。誰もなりたくない割には、仕方なくなった人も、評価されることはなく、批判だけは集中される。これでは、誰も児童クラブの代表になりたくなくなってしまうし、母親がそれをするには、精神的な負担は、重圧がすごい。このような現状も父親たちが議論してどう感じるだろうか?私も児童クラブの問題を掲げる人から、相談を受けたことがあるが、一度、父親だけで集まって、この問題を父親だけで話し合ってみてはどうかとも思うのだ?!父親たちが考えている想像以上に、母親たちの重荷は、現実的に重いのだと思う。

「ワーキングマザー」の重荷がPTA活動にあるならば、父親が積極的に参加することは、一つの妙案とも言えるのではないだろうか?母親の精神的なストレスや重荷を軽減することの妙案でもある。少なくとも普段のPTAのやり取りは母親がやるとしても、責任ある場面やシーンでは父親が出てくるべきとも思うのだ。(もっともレアなモンスターな父親もいるので問題悪化の場合もあるが・・)

私も含めて父親、母親 ともども、今の子育て世代に、持つべき考え方を今一度、確認する必要があるのではないかと思う。子どもの教育や子育ては、夫婦の生きる「気概」という以外にないのだ。学校や社会に対する不満はもちろんあっても、それ以上に、なんとしても「育てる」。一人でも社会に出て生きていける「考え方」と「ノウハウ」。「生きる術」を徹底的に子どもに教える。恥ずかしくない大人として子どもを育てる。どんな逆境に耐えても「生き抜く気概」を父親母親ともども持って、子どもを育てる以外にないのだ。自分の子どもは、他人が育ててはくれないのだ。

「女性にとって最も大切なことは子供を2人以上産むこと」という言葉で、バッシングされた大阪市立中学校の校長を責任問題で、退職させても別に何人も問題の解決にはならない。そんなことよりも、親が子そだてにもつべき「気概」とは何か?そのことを社会に問いかけて、今を生きる大人たちが一番考えなければならない重要なことだと思うのだ。そしてその夫婦の関係で、もう少し父親たちが、力を発揮するべきではないかとも思うのだ。問題の解決に、母親たちが提案して意見はたくさんくる。しかし、その問題解決の糸口は、意外と父親たちの意識が希薄なのではないかと感じることが多い。

もう少し強い父親像が日本の社会に必要なのだ。力強い生きる気概を見せる父親たちが増えることが、少子化問題の糸口になるのではと考えているのが、私の思いである。