2~3行の新聞記事

活動報告

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読売新聞に、会派代表としての私のコメントが掲載されていたので、少し、説明を付け加えておきたい。

 

 

政局の展開を省みての考察であります。

 

  • まず退陣に追い込まれた最大の原因は、「住民投票」という直接参加型の政治行動に、持ち込まれたことが原因ではないかと考えています。市原市長及び執行部では、住民投票の11,000名あまりの署名が集められた時に、住民投票へ持ち込まれることは止むを得なしと判断した。つまり議会制民主主義を補完する意味での住民投票を受け入れようと判断したわけだ。しかし、おそらく実際に住民投票を行えば「反対」が多数の結果が出ると考えられる。問題は、その多数決の結果のバランスを最小限に留めるか?如何に「賛成」と「反対」の割合を、3対7もしくは4対6に持ち込むか?あわよくば5対5くらいまで持っていこうと戦略の方向転換を選択して、住民投票を受け入れる判断をしたわけであります。投票方式の「二択案 対 三択案」の採決にも負けて「二択」での住民投票へ。結果的には、2対8の圧倒的大差にて、白紙撤回および再提案できない状態に追い込まれたわけであります。

 

  • 「住民投票」という直接参加型の政治への甘い見識。市長側はこの住民投票について、これをやるとどのような結果になるかの?結果についての影響をあまく見ていた節が感じられます。いざ住民投票がはじまると「『見直し』という項目がないために市民の意見の選択がなくなってしまう」ということで、「基本計画に、『見直し』という考えを持っている方は、『賛成』に○を書いて欲しい」とのキャンペーンを展開し始めました。市民団体を作って活動をし始めたわけです。そこに市長および賛成派議員が同じような運動を展開。市長も街頭活動では、必死になって、「『見直し』は賛成にまるを!」の配布が市内にばらまかれました。

 

これがまた最悪の結果だったのではないかと考えます。つまり市民は「『見直し』の方は賛成に○を」ということになると、市長や賛成派議員が言っていることは、「なんだ結局、『見直し』なんじゃないか?」ということになる。それでは、「300億円もの基本計画自体は、一体、なんなんだと?」「それじゃあ初めから、見直ししたものを議会に提出すればよかったじゃないか?そうすれば議会も13対13の真っ二つになることはなかったのではないか?」と市民は受け取ります。これにより執行部に対する不信が一層深まってしまっていったのではないでしょうか?

「議会が混乱している」とか「政争の具になっている」という市長側のキャンペーンが続いていろいろマスコミなどにも、市長のコメントが掲載されておりましたが、それ以前の問題として366億円もの基本計画自体が、本当に、十分市民の意識を反映したものだったのか?その努力をしたのか?議会に対しての事前の説明があったのか?余計、疑わしくなっていったわけであります。

それが「二択」の結果だったとはいえ、反対8対 賛成2の圧倒的大敗を喫したわけであります。

 

  •  この住民投票のもたらした結果は、予想以上に政治的な影響を及ぼし始めました。まず市長が白紙撤回。再提案できない状態に追い込まれました。実際に、住民投票の投票率は、投票率は47・30%。反対の8割の63,482の中には、当然、市長が言われるようにいわゆる「見直し論」の方も多くいたと考えられます。確かに住民投票の結果は、「見直し」の意見が明確に反映されているものではないと考えられますね。住民投票の反対の票の63,482の中には、『必要な陸上競技場などの施設を造って欲しい』という意見が正確に把握できていないわけであります。各学校関係やスポーツ関係者からの要望では、12,000名あまりの施設建設の要望は多く出されていることは事実でありますので、この方々の意見が反映されているのか?といえば、確かにそうではないはずです。ですから「本当に必要なスポーツ施設は何が必要なのか?」という議論をしなければならないわけですが、住民投票の結果が白紙撤回と出てしまったがために、本当に必要な議論が、今、できなくなったしまっているということになってしまった。これが大きな問題となってしまったわけであります。

 

  • それでは、なぜ、住民投票へ持ち込まれたのか?約11,000人の住民投票条例の署名活動が集まった時に、臨時議会が開会され「住民投票についての審議」を行うことになりました。議会に対して「住民投票条例」の議案の提出者は、市長になりました。与党は「三択案」。市長の意見書を支持する形で、与党議員は、「三択案」を主張しました。理由は前述のとおりであります。しかし、今から考えるとこの選択は間違っていたのです。もともとその前の3月の予算審議では、「総合運動公園基本計画」は議会で、13対13となりました。同数の場合は、議長採決となり、議長は否決に回りました。これは、市原市長の執行部案を議会が、基本計画の案を一時ストップさせたことになっておりました。議会として市政運営を否決ということで、暴走を止めて、議会の機能として糺した結果と言えます。ですから、住民投票の条例が提出したときに、与党が選択した「三択案」を支持すること自体が、与党議員団の判断として間違っていたと私は考えるのです。それは、市長の市政運営に対して議会は、議会の手続きとしてきちんと、糺しているわけです。住民投票を促進する市民の会の方々は、「議会が決められないから、住民投票で決めよう」と運動を展開していました。ですから、与党議員団は、この辺の大義を重視して「住民投票で決めようという議論は間違っている。議会で決めていくべきだ。市民の意見を反映するならば、アンケート調査をすればよい。住民投票ということに関しては、慎重にするべきだと。」以上のような論拠により、住民投票案を否決する判断をすればよかったのではないかと考えるのです。

しかも、野党派の私のほうから、「住民投票をすることに反対したい」との旨の意見を申し上げた。こんな議論も本来ならば、与党派議員から述べられるべき意見なはずだった。

市原市長を本当に応援していた議員とはいったい誰だったのか?与党議員の団結力のなさ、意見がバラバラでまとまらない。政権を守ることの重大さにまったく認識不足だったがために、市原市長を追い込んでしまったのである。

 

  • 野党議員の中にはもちろん市民ネットや共産党は、「住民投票」肯定論者だ。「市民の意見を聞くべし。」いつの議論でも「市民」尊重だ。一般的には当たり前のことなのだが?
  • 私の政治的に考え方はちょっと違う。いや、だいぶ違うのだ。市民の意見を全部そのまま聞いて、各論ごとに、それを行政執行に反映させていては、行政運営はまとまらなくなってしまいます。議員だから、市民の意見を反映すべき役割はもちろん第一だが、行政に要望、意見するにしても、「公共の利益」いわゆる「公益重視」という概念を付け加えていかないとダメだと考えている。もちろんそこには議員の知見、見識の深さが問われるわけだ。そういう意味では、議員こそが一番勉強しなければならない。これが議員としての重要な義務だとも言える。
  • 私が住民投票に否定的な理由は、住民投票という政治行動が直接参加型で大衆欲情を扇動的になり、慎重な議論に展開せずに、結果的には公共の利益、公益を担保することにならないからである。
  • 市原市長は市長の素質としては評価すべき方だと思う。もちろん各論には批判をしなければならないことは、たくさんあるが、総合的に見れば、評価できる市長だと思っている。だから一時は、選挙でも応援していたわけだ。しかし、これだけ評価が高い市長でも、この住民投票へ持ち込まれた。その政治選択は間違っていたわけだ。結果、自ら引退を表明せざるを得なかった。政治の結果責任とは、厳しいわけだ。一つの政治選択の間違いで、このような結果に追い込まれるわけだから、恐ろしい。
  • 新聞の記事は、2~3行だったのだが、実際に新聞記者には、こんなような内容まで話しているのである。新聞記事の中には、無数の解釈、意味があるということを少しわかっていただければ幸いである。

 

私のコメントに対するご意見をぜひ、頂きたいとおもう。