もうすく終戦の日ですね。散策をしていると新盆の準備の家が多く見かけます。8月15日はいつも終戦の日。反戦の誓いが行われて、いつものように日本が戦争に突入していった様子をTVで流れる。今年もそんなTV番組が放送されるのだろう?!?!
この機会に、月刊「WILL」の9月号に、掲載された橋本琴絵さんの文節の内容を抜粋して、ご紹介したい。最近は、彼女の論文をよく読むようになった。
以下にわかりやすく解説してみた。また、私の感想も交じりながら、コメントをカキコしてみた。是非、ご参照ください。
私も議員だから、議会制民主主義の立場にたって、いろいろ考えてみた。これは一つの見方です。
第21回衆議院議員総選挙をご存じだろうか?1942年(昭和17年)4月30日に日本で行われた帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。大東亜戦争下で行われた唯一の国政選挙であり、一般に翼賛選挙(よくさんせんきょ)の名称で呼ばれる。
次の図の選挙結果を見てほしい。
定数が466に対して、翼賛政治体制の推薦者が381議席を確保した。当時の戦況が、日本軍優勢で進んでいた事も追い風となったこともあり、投票率は、全国平均83.1%という高投票率に支えられて、協議会推薦の候補者は461人中381人が当選し、全議席の81.8%を獲得。その一方で、非推薦の候補者も85人が当選。
この選挙結果をどのように見るだろうか
簡単に言えば、戦争継続賛成が381。戦争反対が85。という結果だった。
戦争に突入していた時期に行われた解散だけに、戦争に対する「追認」という意味合いが強い選挙ということが言えると思う。この結果を受けて、戦争に関する予算案も追認されて、日本は、戦争にのめり込んでいくことになったことは、すでに国民は周知のことだ。
戦後に8月15日になると必ず言われるのが戦争に対する天皇の責任論や軍部の暴走などが、言われる。現在の平和主義者が再び同じような過ちを起こさないために、天皇に対する批判や天皇制に対する存在自体を否定する論調などを繰り返してきたわけだ。また当時の軍部に対する批判も繰り返されてきた。
ここで、ひとつ注意したいと思うことは、翼賛選挙で戦争関連予算を国会で認めたのは翼賛選挙の結果を受けた民主主義の結果だ。ミサイルや戦闘機攻撃なども、予算が成立したから、攻撃が行われたわけで、当時、381人の政治家が戦争を支持して、予算を圧倒的多数で可決、通過させたのだ。その結果をどのように反省するべきなのだろうか?
敗戦後の日本は、戦後70数年間、戦争を決断した責任は、天皇や軍部にある。「天皇と軍部が悪いのだ」と批判し始めました。
しかしながら、当時は、帝国軍人や天皇には選挙権はありませんでした。議会生民主主義という観点から今一度、考察すると、本来の責任を問うならば、戦争に賛成した政治家に責任があるともいえるでしょう。また選挙で選んだ国民も・・・。
8月6日に広島で。8月9日に長崎で、日本はアメリカに原子爆弾を投下されて甚大な命が奪われました。歴史の悲劇だと言えます。
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式。長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典。毎年、行われ、その平和の誓いが毎年、宣言されています。そして、必ず話題になるのが、天皇による戦争責任、軍部による責任などの議論がされます。しかしながら、議会制民主主義の歴史を今一度、振り返ると、広島県や長崎県にも、その当時の翼賛選挙で、戦争に賛成した政治家を選挙で送り出していたことを、歴史の反省、民主主義の反省材料として、議論してきたことがあったでしょうか?
現実的な戦争に対する議論をするならば、そのような観点から、議会制民主主義の歴史を振り返り、なぜ戦争に突入していったのか?冷静な歴史的な考察をするべきではないでしょうか?
このような見方で、日本の民主主義を考察して、その反省を議論する必要があるのではないでしょうか?逆に、戦後の日本はこの点を怠ってきたともいえるのではないでしょうか?
ちなみに、安倍晋三のお爺さんの岸 信介は、翼賛選挙では、戦争賛成派で当選しています。山口県からの出馬です。安倍晋三さんのお爺さんで、もう一人、安倍 寛というお爺さんがいます。安倍晋三さんの父親、安倍晋太郎さんの父親です。この安倍 寛さんは、戦争反対の立場で、山口県2区から当選しています。
他にも、三木武吉(香川県選出)なども戦争反対の立場から当選しています。このように翼賛選挙の結果を振り返って、その後の敗戦そして保守合同などへの戦後の政治史を見てみることが興味深いかもしれません。新たな気づきもあるかもしれません。
~以上が橋本琴絵さんの主な内容について~
全く持って同感です。
PS ここからは、余談です。
さて、広島や長崎の平和記念式典の話で、こんなのもあります。表向きの平和式典の裏側では、原爆ドーム周辺などでは、例年行われている大音量拡声器デモが行われている。「戦争反対」、「安倍辞めろ」、「改憲阻止」などの巨大プラカードを掲げて、拡声器で奇声を発しているわけだ。いわゆる左翼のデモ活動が行われる。
ここ近年は、このデモに対して、広島市民による自粛要求の活動が見られるらしい。デモが始まると、首にプラカードをぶら下げた広島市民が、沿道に並び始める。プラカードに何が書いてあるのか見てみると「慰霊の日になぜ騒ぐ?」「今日は慰霊の日 どうぞ静かにお願いします」(広島市民)などと書いてあるそうだ、
確かにもっともな話だ。戦争の惨禍で散っていった英霊たちを心静かに、祈ることを、平和主義者たちは、デモ行進で、騒ぐわけだ。誠に節操がない。この人々たちの本当に首を傾げる行動。いつもながらに、不可解だ。
橋本琴絵さんのSNSに、面白い表現が書いてあった。是非、抜粋してご紹介したい。
~以下 参照ください。~
線路に置き石されて電車が脱線横転して数百人が死傷した。
Aさん「石に怒りを覚える。石の無い世界を目指す」
Bさん「置き石した犯人に怒りを覚える。犯人の責任を追及する」
正常な精神の持ち主はどちら?
原爆投下の問題に置き換えて考えてみてくださいね。