質問を頂きました。

市民の方より、メールにて、平成25年12月定例会の平成25年12月10日 一般質問 ・自治基本条例について

下記のような質問を頂きました。

「(省略) 政治への直接参加が不平等という言葉に疑問を覚えました。私は間接参加というものは歴史の中で直接参加が実質的に不可能な規模の集団のリーダーを決めなければならなくなっていったことから生まれたと思っていたからです。現在の日本では、「一票の格差」という問題がはびこっているので、間接参加の方が不平等だと言えるのではないでしょうか?直接参加が不平等とおっしゃる理由を教えてほしいです。」

これに対しての考え方をコメントします。

〈直接参加が不平等の理由〉

もともと市民の意見を政治がきちんと反映できる完璧は制度はありません。政治に対する考え方もいろいろあるので、私の説明で納得や理解できない点もあるかもしれませんが、基本的な私の考え方を少し述べたいと思います。

1. 住民投票は、一つのテーマに絞って、その賛否を問うケースが多いです。今回の住民投票のケースを見ると、「運動公園基本計画について 賛成か?反対か?」でした。「見直し」の選択はなかった。(これを市原市長は3択の選択方法を入れてほしかったようですが・・・)。実際に、結果として反対が多数8割になりました。しかし、8割の反対の中に、「建設には賛成だけど、見直しは必要」という考え方がどれだけいたのでしょうか?まったくわかりませんが、たぶんかなり多くの人はいたはずですね。「住民投票で決めよう」の会の方が、住民投票をするために署名簿集めた数は、約11000人でした。しかし、一方で、「公式公認記録会をできる陸上競技場および体育施設などを建設する要望書」に集まった署名数も約11000人余りです。どちらもつくば市人口の22万人の中の11,000人が署名をしました。一方の「住民投票で決めよう」の会の方の目的は達成されたと言えるのでしょうか?私にはわかりません。また、おかげで「公式公認記録会をできる陸上競技場および体育施設などを建設する要望書」の方々の意見の反映は、今、まったく市長の白紙撤回のおかげで、まったく議論が皆無になっている有様です。私は、住民投票の直接参加の手法を取ったがために、ほんとうに必要な議論が失われているように感じておりますが、これについては、他の方々の市民の意見を聴く必要があると思います。公平なのか不公平なのか?平等なのか?不平等なのか?考えさせられる出来事だったとも思います。

2. 直接参加の政治が近年、新しい政治家が訴える傾向にある理由は、間接政治の現在の選挙制度の問題点に、投票率の低下が顕著に出ているからだと思います。これだけ、投票率が低いと本当に民意が反映されていないのではないかという理由によるものです。至極もっともな話だと思います。これは私などの政治家の責任が大であることは言うまでもないことだと思います。低投票率の最大の原因も、私どもの政治家側に問題があるからだと私も強く感じております。政治家の活動や発言によって、市民が政治に失望している現実は事実ですよね。政治家が大反省しなければならないことでもありますね。
スイスという国は、議会で決まった法律や条例を国民の住民投票によって、変更することが出来る制度を採用しています。詳細はインターネットで検索すれば制度の詳細は、理解できます。(http://europeanlife.web.fc2.com/other/volksabstimmung.html

3. しかしその結果、「道路の最高速度は30キロにする」など、どうでもいい自治会などで決めるような内容のものまで、国民投票によって決めるようになってしまっている現実もあります。議会で決めた内容が覆されるので、行政執行がスムーズに進まないなどの弊害も顕著に出ています。一つの例だけで確定することは難しいのですが、直接政治による弊害は、かなり大きいものもあるわけで、間接政治の低投票率も確かに問題ではありますが、まだ間接政治の方が冷静な議論に基づくもので、まだ、公平や平等さが担保できるものかなとも思います。さきの住民投票の様子でもわかるように、一つのテーマによって、互いの意見を戦わせるために、直接投票による活動のコストもかなり掛かります。今回のつくば市の住民投票においても、市原市長も相当な費用を費やしています。これは、「住民投票で決めよう」の会の方も、そのようなことをおっしゃっていました。つまり直接投票によるコストは、間接政治よりもかなり大きく膨らんでしまうわけですね。ここらへんも冷静に真摯に考える必要がある理由ですね。

4. 〇〇さんより、一票の格差の話があったので、ここら辺の考え方を少し。

これも私の一方的な考え方も知れませんが、一票の格差とは、選挙区の人口の割合と議員の定数の割合の不平等を問題化している案件だと思いますが、実際の意見の反映には、あまり問題が無いように感じています。一つの例ですが、東京圏や関西圏などの都会では、道路整備は進んでいて、「もう道路や箱モノはいらない」という意見が多くあります。人口も多いがために、「逆に福祉予算に使おう。公共事業は無駄遣いだ」という意見があります。一方で、地方へ目を向ければ、鳥取や島根、北陸など日本海側の道路整備は、まだまだ遅れていて、整備が遅れているため、地方経済は疲弊し続けています。地方ほど人口減少が進み、議員定数が減らされれば当然、多数決の原理により、地方の意見は国策には反映されない傾向にあります。地方の要望は多数決では少数におちて多数決ではかなわなくなるわけであります。「コンクリートから人へ」の政策変換で民主党政権になった時に、公共事業は激減し、結果、返って地方経済が疲弊した事実を結果としてどのように分析するべきでありましょうか?果たして、一票の格差とは、そんなに大きな問題なのか?どうか?冷静に考察する必要があると思いますね。

5. 大衆は欲望に満ちている。

元来、人間の欲望は限りがありません。市民大衆に欲得の選択を迫れば、大衆は己の利己心のまま、自分の欲得を優先して、全体の「公共の利益」を優先するなどという選択はしなくなります。だから、大衆は欲望に満ちているがゆえに、市民や国民が本当に平等で公平な選択をするはずがないという考え方を私は持っております。そんなに人間の社会は理想郷なのではないと思います。で、あれば、その前提に立てば、いかにして、「公益重視」を実現するために必要な方法は何か?どのようにすればそれが実現できるか?これを政治に携わるものが真剣に考える必要があると思いますね。
「民意迎合ではなく、公益重視を!」です。私の政治的なスタンスの基本理念です。

以上、コメントさせていただきます。