地方政治の現状と疲弊(新聞記事をみて)

地方創生の言葉が飛び交うが、地方の政治についての深刻さが伺えるような新聞記事だと思う。地方の財政ほど厳しいもので、議員の定数や議員報酬および政務活動費なども、地方議員自ら歳出カットを選挙で掲げて、財政健全化をマニフェストにしてきた実態がある。当然、有権者からすれば、まず議員自ら身を切る改革は当たり前だと感じるものだ。選挙でも古い体質の議員よりも、若手で「自ら身を切る」政治テーマを公約する地方議員は多くある。もっともな話なのだ。

有権者は、もっともな、しかも説得ある、実行力のある政治家に期待を寄せて、選挙で政治家を選ぶ。しかし、地方の政治、地方の選挙ほど、この路線を数年間ず~っと続けてきて、現実にはどうだったのだろうかと?考えさせられる。

記事にもあるように、このままでの地方の政治の舞台の現状、特に政治家になる首長および市町村議員の現状は厳しいのだ。生活も仕事との議員活動との両立も大変だ。だれも自分を犠牲にしてまで、メリットのある政治家稼業などやる人間はいなくなってしまうと思う。議員の選挙で定数割れや首長の無投票という現象もまた起こるべきして起こっている現象だと思う。

自分が議員になって身にしみて感じる。嘘偽りのない私の感想だ。私も議員になって、会社を犠牲にしている。売上は激減して会社の人にも多大なる迷惑をかけている。家族にももちろん。なぜそれほどまでにと、喧嘩になることもしばしばだ。

議員の報酬についても記事にも書いてあるが、議員が他の仕事を兼職しても、法律的にも慣例的にも日本社会の政治のなかに、その寛容される雰囲気は必要なのではないかと考える。議員だけの報酬で、子供二人くらいは大学にまで行かせられるくらいの報酬は与えてしかるべきなのではないかと、個人的には考える。私は少々他の仕事も兼職しているが、他の議員の中では、議員報酬だけで生活をしている人もいる。正直、実態はわからないが、私が逆の立場だったら、まず無理だろう。生活はやっていけないと思う。

アベノミクスの地方創生のなかに、地方が自立できる地方分権論もある。しかし、肝心の地方の為政者になるべく地方のリーダーや地方議員の生活をある一定の社会的地位の位置づけを高めなければ、政治家を目指す人はますますいなくなってしまうだろう。今朝の新聞のニュースは、その地方政治の疲弊さと深刻さを物語っている。つくば市の財政や市政運営についても、地方の政治家は、まちづくりのプランや様々な将来像を研究して、政策を立案して、市民に対して、問いかける。その作業一つさえも生活環境の不安にかられながらでは、しっかりとしたメッセージが出来上がってこないものだと思うのだ。ましてや国から権限が移譲するなど、その行政運営のノウハウのレベルは、より高度なものになってくるわけだ。まだつくば市はいいほうだ。とりあえず他の市町村から比べれば、財政は健全化な方だし、贅沢な環境だとも言える。他の市町村はさらに深刻だ。他の市町村の議会や議員の環境も同じくらいに深刻なのだ。それがこのニュースの真相だ。

私は極めて現実論者。綺麗事を軽々に言うべきではないと思うし、議員の報酬や議員定数についても、冷静な現実的な議論が必要だと思う。
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