私が議員になって気づいたことがあります、私は衆議院議員の丹羽雄哉さんに約3年ほど従事していた。そこに在籍していたことが、今、とてもよかったと感じています。それは議員になって、さすがにいろいろ勉強することが多くなって、特に、社会保障については、よく勉強しなければと考えている。
今日は、社会保障について、丹羽雄哉代議士の論文をご紹介しよう。2008年度の論文ですが、今更ながらに感じますが、今の社会保障を考える時に、非常な重要なメッセージが書かれている。ちょっと長くなるが、重要なことが書いてあると思うのでぜひ、ご一読していただきたいと思います。
「年金財源“税方式”は百害あって一利なし」 丹羽雄哉
年金の財源問題をめぐって、現行の「社会保険方式」と、すべて税財源で年金給付を行うという、いわゆる「税方式」との論争が最近にわかに活発になってきた。
欧米の3倍のスピードで急速に進む高齢社会の中で、特に若い方々の間では、「果たして給付と負担の関係がうまく回るのか」、「将来、自分たちが約束された年金をもらうことができるのか」という心配がある。
そこに、国民年金の未納・未加入問題が重なり、さらに「宙に浮いた年金記録問題」といった年金制度そのものの信頼を失墜させる不祥事が明らかになったことで、現在の年金制度に対する不安・不信に根ざした国民感情が“大波”となって、税方式論が徐々に広がりつつあるようだ。
宙に浮いた約5000万件の年金記録について、社会保険庁は、受給者・加入者の記録とコンピュータ上での突合せを完了し、その結果を3月14日に発表した。その結果、持ち主につながる手がかりが見つかったのは、全体の6割の3070万件にとどまり、未解明の記録がまだ2025万件にも上っている。この問題の解決には即効薬は無い。社保庁の努力だけではもはやお手上げの状態で、国民一人ひとりの協力が不可欠だ。
だからといって、この問題と年金の財源論議を混同させてはいけない。宙に浮いた年金問題の解決には、国民の理解を得るためにも最後まで最善を尽くさなければならないが、グランドデザインについての議論はムード先行ではなく冷静に対応しなければならない。年金は国民生活に密接に関係しているだけに、制度そのものが崩壊し、国民生活を混乱に陥れかねないからだ。
これまでも税方式には一部の識者や自民党内にも支持する向きがあったが、ここにきて、日本経済新聞社が1月7日付けの紙面で基礎年金を社会保険方式から税方式に移行させるよう求める論を大々的に発表した。これがきっかけとなって与党内でもこれに賛同する声が出てきている。
日経新聞は、基礎年金給付総額19兆4000億円の財源すべてを消費税で賄い、そのために税率を5パーセント引き上げることが必要だとしている。ここで、端的に結論を述べるなら、税方式は長期にわたって社会保障制度に混乱を生じさせるばかりか、保険料の企業負担まで消費税に転嫁して国民の負担に重く押し付けるだけで「百害あって一利なし」である。
税方式のなんたるかを理解することなく、税方式にすれば、何か手品のように全て問題は解決してしまうという、いわばムード先行の年金論議になってはいけない。ムード先行の税方式に潜む様々な問題が今はまだオブラートに包まれている。それがいかに非現実的かを理解しないままに語られていることに強い危機感を覚える。
私は、日本経済の先行きすら見通せないのに、年金の「百年の大計」などと言うつもりはない。非現実的な机上論争にピリオドを打ち、せめて30年、40年先の責任を持てる持続可能な制度に見直していく中で、国民の混乱をなくすことが政治の責任だと考える。
聞こえのよい「抜本改革」という言葉に踊らされて、この老後のセーフティネットが崩壊してしまったら、それこそ国民の不安が現実のものとなり、将来に大きな禍根を残すことになってしまう。「未納問題を解消するためには税方式しかない」などといった短絡的な発想で、白地に絵を描くようなことは厳に慎まなければならない。社会保障を根幹から壊すような論争に、私は敢えて「待った!」をかける。
「自立と連帯」
わが国の年金制度は、戦前に厚生年金が発足して60年以上を経過し、昭和36年から世界に誇る「国民皆年金」体制となって間もなく半世紀を迎える。国民年金がスタートした時に20歳だった方が、40年間加入し、既に年金生活者となっているように、わが国の年金制度は、いよいよ成熟期を迎えたといえる。
既に年金給付は国民所得の1割を超え、高齢者の7割は何らかの形で年金に依存して生活しているのが実態だ。多くの若者は親への仕送りの心配をしなくても済むようになり、親も子どもに気兼ねなく老後の生活を送ることができるようになった。年金制度は国民経済と個々人の老後設計にすでにしっかり組み込まれているのだ。
このようにわが国の社会保障を長年にわたって質量ともに高い水準で維持させてきた根本は、「自立と連帯」の精神だ。社会保障のみならず、全ての分野において、まず「自立」があり、そして互いに助け合う「連帯と共助」があり、最後に登場するのが「公助」だ。全ての国民がその能力に応じて保険料を拠出し、それによって誰もが老後に必要な給付を受けることができるというセーフティネットの役割を果たしてきたのだ。
ところが、税方式というのは、65歳になったら無条件に国が全て面倒をみるということになる。これは、「自立と連帯」という根本を逆転させる「大きな政府」の発想ではないか。
現実には、そんな気前のよい話にはならず、逆に収入や資産のある方には受給をご遠慮いただくべきと言う議論に、必ずやつながるだろう。税方式では負担と給付の関係が断ち切られているので、財源が厳しくなれば所得制限を強化していくことも可能だからだ。
経済情勢や国民世論によって、消費税が現実問題として上げられないときは、何年も現行水準でジッと我慢することも覚悟しなくてはならない。一度裁定を受けても、財政状況によって削減されてしまう可能性もある。財政状況の変化が年金にもろに響くことになるのだ。
私は、税方式になるということは、結局は、年金制度は国民誰もの安心を確保する仕組みから、困った人を助ける「第二の生活保護」に変質してしまうことにつながると考える。
企業の社会保障負担からの逃避
保険料が給料から天引きされるサラリーマンの方々の中には、国民年金の未納者に対して不公平感を持ち、むしろ誰もが払う消費税の方が公平だとの声も聞かれる。しかし、その場合には、企業からの保険料負担がなくなる一方で、新たに「年金消費税」という負担が家計にずっしりと圧し掛かることになるという問題が潜んでいるのだ。
今や、社会保障の給付は90兆円を上回る規模となっているが、実はその3分の2は保険料で賄われており、その保険料の半分は事業主が負担しているのだ。
わが国の企業は、これまで、従業員が安心して働ける環境を作り、病気の時や老後の生活を支えて、企業と従業員の絆を深めることによって、質の高い労働力を確保してきた。これがわが国社会保障の出発点であると同時に、国際的に見ても良質な労働力の確保につながり、わが国の発展の源泉となったはずだ。
ところが、ここに来て、これまで社会保障を支えてきた企業の腰がにわかに引けてきて、社会保障から手を引きたいという空気が経済界に蔓延しているように思われる。基礎年金の税方式と合わせて、2階部分の厚生年金も廃止し、個人が運用の責任を持つ積立年金にするとの声すら聞こえてくる。企業の負担軽減、市場主義もここに極まれりといった感だ。
現在企業が負担している保険料の30兆円近くが家計に付け変わっては、とても国民生活は成り立たない。消費も冷え込み、生活不安を抱えた従業員ばかりでは企業の発展も望みようがないといえよう。わが国の企業には、社会保障の一翼を担ってきたという矜持を捨てて欲しくない。
社会保険庁の改革
社会保険庁の杜撰な管理によって生じた年金記録問題は、国民の年金への不安や不信を高め、税方式の主張を勢いづかせる一因となっている。
私は、かねてから社会保険庁の体質に疑問を抱いてきた。
長年にわたって厚生行政と関わりを持ってきたが、私の耳に入るのは、「社保庁はどうしようもない役所だ」、「社保庁は何もしなくていいから(キャリア組にとって)充電するには最高の所だ」。こんな話が半ば公然と社保庁長官経験者らOBから何度となく聞かされていた。
何をしているのか外部には全く窺い知れないが、私には社保庁をめぐって忘れられない経験がある。
2002年の健保法改正による一連の騒動だ。被用者保険本人の負担を2割から3割に引き上げるという、時の小泉純一郎首相らとの“確執”だ。
政管健保の自己負担を三割に引き上げると、すぐに4割、やがて5割にもなりかねない。保険制度はリスクが発生したときに給付やサービスを受けるシステムだが、自己負担が4割、5割ともなると、もう保険制度の体をなさなくなる。
そこで、私ども自民党の医療基本問題調査会や厚生労働部会のメンバーは、3割引上げ反対の立場だった。これに私の盟友である坂口力厚生労働大臣らも加わった。
しかし、元々5割負担論者であった小泉首相は、頑として3割負担導入の姿勢を曲げない。困り切った坂口厚労相は「(辞職するから)筆を持ってこい」と周囲に漏らしたほどだ。
忘れもしない2月11日。私はその前夜から沖縄にいた。前から友人とゴルフの約束をしていた。しかし、ゴルフどころではない。坂口厚労相や麻生太郎政調会長らから、私の携帯に切れ目なく連絡と説得が入った。
結局、山崎拓幹事長の呼びかけで、坂口厚労相、麻生政調会長らが集まって、3割負担導入を決定し、私どもは“打ち首”となった。
その最後に私どもが条件として挙げたのが、「政管健保を社会保険庁から切り離し、民営化する」ことだった。
これは後日、自民党医療基本問題調査会、厚生労働部会の合同部会で正式に了承され、健康保険法等一部改正案の附則として明記された。
年金ではなく、医療保険が引き金となって社会保険庁の“解体”にようやく一歩手が掛かったのである。
今なお、大きな社会問題となっている、宙に浮いた年金記録5000万件問題など、当時は想像もつかなかったことだが、それにしても先進諸国の行政組織の中でこれほど腐敗している組織は稀ではなかろうか。
社保庁は、①長官と厚労省キャリア、②社保庁採用のプロパー、③各地方事務所採用、の三層構造の中で、意思の伝達が全く行き届かないところであった。
その根源は社保庁の自治労国費協議会(現在の全国社会保険職員労働組合)との労使馴れ合いと怠惰から生じたと言ってもよい。
組合は1972年から79年まで業務のオンライン化に徹底的に反対し、社保庁と、民間企業ではおよそ考えられない“甘い覚書”を交わしていた。まさに、起こるべくして起きた不祥事といえよう。
この社会保険庁の体たらくに乗じて、この際、社会保険庁を国税庁に吸収し、「歳入庁」を作ったらどうかと言う意見もある。そうすれば、保険料と税金とを一緒に集めることが出来ると言うことだが、私は、その前に自営業者の所得捕捉をするため、まず国民納税者番号制度のような仕組みを早急に作るべきだと考える。
国民年金保険料を定額制にしたのは、国民年金の被保険者は自営業者であるため、所得や就業形態がまちまちなこともあり、公平な所得把握が困難であるからだ。まず、その前提を解決せず、脇に置いて主張するのは机上の空論以外の何者でもない。
もとより、税の徴収対象者は一定以上の所得のある方に限られている。例えば、自営業者など国民年金の加入者は2200万人だが、そのうち税の申告をした人、すなわち税務署が所得を把握した人はわずか350万人に過ぎないと言われている。
課税最低限の所得すらない方や、免除や減免措置が適用される低所得者もその対象とする社会保障分野の保険料と税の徴収とは、似て非なるものではないだろうか。
民主党の年金改革案
民主党は2003年の衆院選以降、独自の年金改革案をまとめマニフェスト(政権公約)に盛り込んだ。
今、私どもは厚生、共済、両年金制度を統合する被用者年金一元化法案を、昨年の国会に提出し、継続審議扱いとなっている。
これに対して民主党案では、国民年金に加入する自営業者などを含め、全ての職業の方々が、同じ制度に加わることを主張している。
私たちは、国民年金まで含めた年金一元化を否定しているわけではない。
現実問題として、「クロヨン」とか、「トウゴウサン」と言われる自営業者の所得捕捉が困難な以上、まず、サラリーマンの被用者年金の一元化を先行させるとの現実的な対応に基づくものだ。
それでなくても年金の「官民格差」として、長い間、共済年金は民間の方々から怨嗟の的となっていた。今回の一元化法案でようやく三階部分の職域加算部分を含めて官民格差が解消されることになるのだ。
民主党案は、最低保障年金と報酬比例年金の併用制となっている。昨年の参議院選挙では、現行の消費税率5パーセントを一切引き上げないで全て年金に特化する。その一方で65歳以上のお年寄りに対しては、現行の基礎年金66000円を給付するという、何か手品まがいのような考え方を打ち出した。
現行の消費税率を全て年金に特化したとしても確保出来る財源は13・2兆円。これに対し、65歳以上のお年寄りに対して、現行基礎年金水準の66000円を支給するとすれば、総額22・3兆円に達する。どう見ても9兆円不足する。
明らかに総選挙を意識しての“消費税隠し”以外の何者でもない。
現に、2005年の“郵政選挙”では、当時の民主党岡田克也代表が、現行の消費税を年金に特化した上で、3パーセント引き上げるという公約を堂々と主張した。何故、これだけの大方針が短期間のうちにガラリと変わったのか。
小沢一郎代表の言葉を借りるまでもなく、「民主党に政権能力が無い」ことを自ら示しているようなものだ。
財源不足を補うためか、現役時代に一度でも年収が600万を超えた方から減額が始まり、1200万円を超えた方は辞退していただくと言う、一瞬耳を疑わざるを得ない削減案を持ち出してきた。
人生は山あり谷ありだ。例えば50歳代のときに600万円とか1200万円を稼いでいた方でも、65歳になっていよいよ年金生活に入ろうという段階になって、「あなたは現役時代、1200万円以上稼いでいたから年金を辞退して下さい」と言われたら、お先真っ暗だ。
社会保障はあくまで国民生活のセーフティネットとしての役割を果たすものだ。現役時代の年収に応じて年金額が“削減”されるならば、現役時代は老後のことを考えて、消費せずに貯金をしておけ、という論理に繋がることになる。
現役時代にいくら稼いでいても、人生誰しもが老後も豊かとは限らない。今や人生80年、90年時代だ。これでは現役をリタイアしても、相当の所得のある方でないと、生活が出来なくなり、少なくとも老後の年金頼みは無に帰すことになる。
因みに、現行消費税率5パーセントに対応する税収のうち、国分の税収が平成20年度見込みで、およそ7・5兆円であることから換算すると、65歳以上のお年寄りに一律66000円を支給するとなると、消費税率は15パーセントまで引き上げなければならない計算だ。
来年度中に年金の国庫負担分を現行の36・5パーセントから2分の1(50パーセント)に引き上げることが既に法律に明記されている。およそ2兆5000億円の財源を確保しなければならない。
私は、まず、当面解決すべきことは、年金の国庫負担を2分の1に引き上げて、将来とも安定した持続可能な制度を1日も早く実現することだ、と言いたい。
もう机上の論争はやめよう。消費税を一切引き上げないで予算の無駄遣いを徹底的に削減することによって実現するなど、およそ現実離れしたことを主張していても話は進まない。
年金を政争の具に使うのは、国民にとっても、国家にとっても不幸なことだ。
混乱は半世紀以上も
仮に、全額税方式に移行するとしても、これまで保険料を払った方と保険料を払っていなかった方をそれぞれどう扱うかという、避けて通ることのできない大問題があるのだ。
税方式論者は、これまで保険料を払ってきた方には満額を支給するが、これまで保険料を払わなかった方については未納期間に応じて年金額を減額すればよい、といとも簡単に言っているが、果たしてそれはそんなに簡単なことだろうか。
現行制度の加入期間が40年、平均的な年金の受給期間が20年程度と考えても、税方式の新しい仕組みに完全に移行する世代は、現在まだ加入対象となっていない10代の若者以降の方々であり、それまでに60年以上もの時間がかかることになる。
その間は、例えば、既に保険料を払った年金の受給者が、さらに年金給付のための消費税の負担を求められる、いわゆる「二重負担」が発生することになるし、現役時代に保険料を払わずに無年金となった高齢者が、亡くなるまで年金はもらえないのに年金給付のための消費税を払い続けなければならないことなどへの不満を抱え続けることとなるのだ。
果たして、こんな状態が混乱もなく半世紀以上も続けられるのか。大変な労力と負担をかけて税方式に移行した後も、半世紀以上も年金論議は混乱することとなる。
介護保険の保険料も、4月から導入される高齢者医療制度の保険料も年金から天引きされることとなっているように、年金制度は、医療や介護を含めた社会保障全体の要である。税方式への移行でこの要が半世紀以上も大混乱していては、医療や介護など社会福祉はすっ飛んでしまうのではないかと懸念するのだ。
消費税を年金だけに充てる余裕はない
民主党に限らず、財界、メディアの一部に税方式化の提案があることは事実だ。将来世代への責任を考えれば、誰もが、消費税の引上げは避けて通れないと考えている。しかし、実際に引き上げるということになれば国民の強い反発も予想される。そこで、国民の最も関心の強い年金のためといえば国民も納得してくれるのではないかという期待から、消費税の引上げと年金の税方式化が結びつけられているのだ。
しかし、少子・高齢化によって負担が増大するのは年金だけではない。平成20年度の一般会計予算では、国の負担分は、医療8・5兆円、年金7・4兆円、介護1・9兆円、それに生活保護も1兆円近くに達している。さらに、社会保障の将来見通しによれば、今後20年間に必要となる費用の伸びは、医療や介護の方が年金よりも大きいのである。
しかも、介護保険改革、医療制度改革が相次いで実施される中、医療や介護の現場は青息吐息である。医師不足などによる“医療崩壊”、介護職員の現場離れなど深刻な問題が山積している。新たな待機児童ゼロ作戦など少子化対策も手を打たなければならない。
わが国の債務残高は年々増える一方で、今や国・地方合わせて770兆円と、GDPの1・5倍にも及んでいる。これは、先進諸国の中で最悪の財政状況であり、他から財源を回してくる余裕など、とてもない。こんな中で、消費税をすべて年金に注ぎ込んでしまったら、医療や介護はどうなるのだろうか。
私は、消費税は、年金国庫負担の2分の1への引上げを含めて、このような危機的な状況の建て直しに充当することとし、年金、医療、介護、さらには強化が求められている少子化対策も含めて、社会保障全体を支えるものとして考えなければ、社会保障は維持できないと考える。
少子・高齢化を総動員で乗り切る
急速に進む少子・高齢化の中で、現行の制度のままでは、自分たちの年金がもらえなくなるのではないかという不安から、税方式に魅力を感じる方も少なくないと言われる。
しかし、税であれ保険料であれ、国民の負担には変わりはない。高齢化が進み、年金受給者が増えれば、その分何らかの形で誰かが負担しなければ年金の給付はできない。お年寄りの生活も成り立たない。税方式にしたからといって、決して世代間の不公平がなくなるわけではないのだ。
税という一つの財源だけに絞って年金制度を考えてよいのだろうか。例えば、消費税が全ての世代が広く負担をする税だからといって、何でもかんでも消費税でということにすれば安心できるというわけではない。税、保険料それぞれにメリットとデメリットがあることは言うまでもない。
「社会保険方式」と言っても、基礎年金にしても介護保険にしても、半分は税金を投入することを前提に制度が作られている。財源を何か一つに絞るのではなく、現役世代が稼ぎ出した所得の一部を納める「保険料」、高齢者も含めてあらゆる世代が幅広く負担する「税金」、資産を分散投資して得られる「積立金からの収入」の3者を総動員し、今や、3本の柱で、厳しい少子・高齢化を乗り切っていかなければならないのだ。
未納問題の解決策
税方式論者が指摘する現行の制度の最大の弱点は保険料の未納問題である。これは、実は、年金制度全体の問題ではなく、自営業者や厚生年金の適用を受けないパートの方々が加入する国民年金部分に限って生ずる問題である。
国民年金の保険料は定額で月14410円(4月1日から)、40年間保険料を納め続けて受け取ることのできる年金は定額で現在月66000円となっている。この負担は、低所得の方やパートの方にとってあまりにも重く、年金として魅力に欠ける面は否めない。
ちなみに、生活保護費は、都市部の1人暮らしの場合では8万円を上回るところもあり、国民年金よりも大幅に上回っていることに対し、大部分の国民は違和感を持っているのではないか。国民年金のあり方と同時に生活保護の水準も含めて抜本的な検討を急ぐべきである。
国民年金の未納対策としては、様々なPRを行い、コンビニ納付などできるだけ保険料を納めやすくし、納付いただけない方に督促の連絡も入れ、最後に強制徴収まで行って、保険料の収納に努めてはきたが、率直に言って目覚ましい効果を上げてきたとはとても言い難い。
やはりここは、国民年金の在り方について検討し、制度的な対応を考えなければ、問題は解決しない。
本来、国民年金は、自ら事業を営む農業者や自営業者のために作られた仕組みだが、現在では、本来は厚生年金の適用が望ましいと考えられるパートなどいわゆる非正規雇用の方の割合が大きくなっている。実は、このような方々の未納率が高いのだ。
現在、国会で継続審議になっている被用者年金一元化法案の中では、厚生年金の適用範囲を、現行の週30時間から雇用保険並みに20時間に引き下げ、正規社員に近いパート労働者の方々に拡大するという内容が盛り込まれている。
これによって新たに厚生年金の適用を受けることとなるパート労働者は10~20万人程度と予想されているが、私はこれを突破口として、さらに非正規雇用の方々に厚生年金の適用をもっと拡大させていくべきだと、敢えて提案したい。
しかし、現実には、就業時間が極めて短いことなどから厚生年金が適用されない方も少なくない。そのような方々に対しては、この際、所得税や住民税と同様に、企業が国民年金の保険料を代行して徴収するようにしてはどうだろうか。
こうすると、残るのは、自ら事業を営む本当の意味での自営業の方々をどうするかという問題に絞られることとなる。
現在、国民年金では低所得の方を対象に、全額、4分の3、2分の1、4分の1の4段階で保険料の免除制度がとられているが、本人の所得がどんなに低くても、申請がなければ一律の14410円の保険料が課されている。
これは、厚生年金では所得が低ければ最初から低い保険料が自動的に設定されるのと比べて、かなり不親切だ。今では、社会保険事務所と市町村での所得情報のやりとりを通して、低所得の方々については、いちいち申請をしてもらって免除するのではなくて、最初から所得に応じた無理のない保険料を払っていただくという方式に変えたらどうだろうか。
これをもっと進めれば、国民年金の方々も厚生年金のように、所得の高低に応じた保険料を納め、給付も負担に応じて支給される方式にできるはずだ。所得のある自営業者の方々には、今の低所得者と同じように、例えば4段階の保険料を逆に上乗せすることによって、厚生年金により近づけるとか、この際、所得把握が可能となることを前提に、こうした高所得の自営業者には厚生年金の“特別適用”も含めて検討する必要があるのではないか。いずれにせよ、これには納税者番号制度など公平な所得把握のための条件整備が必要だ。また、サラリーマンと違って企業の負担がないので、保険料が高くなりすぎないような工夫も必要となる。
これが実現すれば、現行の国民年金の保険料も、一つの“目安”に過ぎなくなる。
このように一つ一つ問題を解決することによって、何も税方式化しなくても、未納問題の大部分は解決できるのである。
おわりに
今回の年金の財源をめぐっての論争は、究極のところ、高齢社会における老後生活の安定のために、国がどこまで支援できるか、セーフティネットとしての年金の役割とは何か、といった、国の“かたち”そのものが問われる課題でもあるのだ。
かつてローマ帝国の皇帝は市民たちにパンをふんだんにタダで配給し、週末になると市民たちは決まってサーカスに興じたという。
当時は大変な名君と言われ、市民の人気も高かったが、やがて市民は働かなくなり、ローマ帝国滅亡への道筋を辿るのである。
実は、日本でも、似たようなことがつい最近まであった。
「福祉元年」と言われた昭和48年に先立つ4年前、美濃部亮吉東京都知事は老人医療の無料化に踏み切った。これにほぼ全国の自治体が一斉に追従した。
お年寄りは体が弱ってきてお気の毒であるというのがその最大の理由であり、当時マスコミは「福祉の美濃部」と、もてはやした。この流れの中、4年後には、国までもが老人医療費を無料化したのである。
病院はやがてお年寄りで溢れかえり “サロン”化した。当時。こんなジョークがまことしやかに語られていた。「今日は、あのおじいさんの顔がみえないけど、どこか体調でも悪いのかな」。わずか5年間で70歳以上の受診率が倍近くに跳ね上がったのだ。
あれから35年の歳月が経ち、今や、医療費は32兆円に及び、そのうち70歳以上のお年寄りが3分の1以上を占めるに至っている。これらの費用の大部分は、若年世代の負担によることは言うまでもない。
その一方、少子・高齢社会が忍び寄ってきた。公費や若年世代の負担ももはや限界だ。昭和58年から老人医療費は再び有料となっている。
税方式論者の最大の根拠は、未納・未加入の解消といえる。「保険料を払わない人たちは年金を貰えずに気の毒だから」というわけだ。私は、今の税方式ムードについて、“いつか来た道”を思い出さざるを得ない。
私は、政治の基本は現実の課題をいかにして混乱無く解決していくかということにあると思っている。そして、その解決が真に国民生活を守り、向上を図らなければならないことは言うまでもない。
わが国の人口1億2800万人のうち、65歳以上のお年寄りは2600万人を数え、その割合はすでに20パーセントを超えている。これからわが国は、高齢化で世界のトップランナーを走り続けることとなるのだ。
この高齢社会を乗り切るために、まず「自立」があり、共に支える「連帯」があり、最後に「税」による「公助」によって支えられてきた。
ちなみに、先進諸国の中で、公的な年金制度が税方式だけという国は、移民国家という歴史的経緯を持つニュージーランド(人口約400万人)などごく一部の国に限られており、イギリス、フランス、ドイツなど主要国はすべて社会保険方式を採用していることは言うまでもない。
いきなり「公助」が飛び出した税方式の論争は、この国の社会保障の根幹が社会保険方式の下でなされているという事実を全く無視し、崩壊への一途を辿ることになりかねないと、私は危惧している。
わが国の社会保障は、かつては救貧対策でスタートし、サービスの対象者も一部のお年寄りや低所得者に限られていた。「自立」と「社会連帯」を基本に、国民皆保険・皆年金体制によって、全ての国民が保険料を納めて制度を支え、また、税も投入して、年金・医療・介護という基本的な給付を誰もが受けられる形を作り上げてきた。
このシステムのもとで、世界一の平均寿命と、世界一低い乳児死亡率を達成し、わが国の社会保障のパフォーマンスは世界的にも高く評価されている。
わが国の社会保障は、発展途上の国から見れば、まさに「坂の上の雲」である。もっと自信と誇りを持とうではないか。