日曜の朝は。今日は祇園祭です。

おはようございます。日曜の朝です。スマホを紛失してSNSなどのアップがスムースに進まない日々が続いております。

久しぶりに長文いきたいです。

行政が歪められた発言について ~続き~

行政が歪められた発言にどうしてもいろいろコメントしたくなりました。やはりおかしい。

有権者、市民の方々などの行政に対する意見は様々です。しかしながら、その意見をよく分析してみると大体は、有権者や市民の各々の要求です。つまり、「欲得ばかり」と言うとまた物議を醸すかもしれませんが、大衆の要求は、大体は我欲の塊です。ですから、それを全部実現するわけにはいかない。ですから行政は、その多くの要求や要望は、各論としての要求だということをまず認識して受け止めます。そして、それが本当に公平性や信頼性や建設的な意見なのか?精査するわけですね。そこには、行政で働く公務員の方々は、真剣に、そして多くの知見を結集して、行政判断を下していきます。

 

市長村長にしても、都道府県知事にしても、内閣総理大臣にしても、その行政のトップが責任者であることは、間違いないので、責任はすべてトップにあります。しかしながら、細かい各論については、各担当する行政部局で、精査していくわけです。私はつくば市議なので、つくば市の様子を詳らかにすれば、各、担当の職員さんは本当に優秀な方が多いと思っています。その行政マンとしての見識と経験の総力を結集して、日々の行政運営を担当していただいております。ですので、行政基準とは、もちろん今までの事例を含めて、彼らの叡智の結晶なので、誠に行政運営は事細かに隅々まで、常に公平性を担保されていると考えられます。

 

一方で、行政をチェックする機能は、議会にあります。首長も選挙で選ばれますが、議会の議員も選挙で選ばれます。そしてその議員はある一定の支持があって当選して議員になれるわけです。つまり、議員は各論の支持のもとに議員として成り立っています。ですので、議員は、その各論の意見を反映させるべき、一つの大義もあります。それが建設業界であったり、医療業界であったり、ボランティア団体であったり、地域性であったり、革新系であったり、保守系であったり、そのほか・・・・多数。よく利益誘導型の議員などと言いますが、ほとんどの議員は、利益誘導型なんですよね。そうじゃないという議員もいらっしゃるけど、・・・。

 

例えば、つくば市の陸上競技場を作ろうという時に、どこに建設するか?私は、旧桜村に住んでいますので、おそらく旧桜地区につくろうではないか?と主張するでしょう?ほかに、豊里地区や茎崎地区の議員だったら、その地元を優先する意見を主張することでしょう?それがなければ、議員としての大義(応援してもらっている以上は)を怠れば、次の選挙の時には支持がもらえないからですね。ごくごく当たり前のことです。

 

つまり議員は各論で成り立っている以上は、行政をチェックする機能はもちろん議員としての仕事でもあるわけですが、その各論の優先度を重視しながら行政に政治家としての意見を申し述べ主張する傾向は強い。そうなるのが自然の形であります。

 

議員の意向が強く働くと、それを受け止める行政の方は、議員の意見は各論ですので、欲得が強くなる分、当然に公平性が確保されるのか?を確認しながら、その意向をいわゆる「忖度」していきます。ここに行政マンとしての戦いが現実に生じていると思います。

 

議員側は、選挙での支持を盾に、意見を強く主張する。それに対峙する行政側は「それが真に公平性を担保するべき事案なのか?」を盾に、折衝をしていきます。もちろん議員の意見を受け入れられるものは、行政に反映しますし、あまりにも無謀なものは行政としても「できません」と対応するわけです。ここで、「あまりにも無謀なもの」という表現は、先ほど、言ったように、議員の意見の中には大衆の要求、我欲の塊のものも、多くあるからです。

 

一つの事例です。国民年金を未払いしている現実の問題があって、それをつくば市の一般会計で約5~8億円ほど、補てんしています。本来、国保は加入者がキチンと支払いをしていただくべきものなのですが、現実的には、未払い者が多く、それでは国保会計が破綻してしまうこと場合の最悪の事態を防ぐために、つくば市の一般会計から補てんしているわけです。ですので、この補てんについては、会計上はやってはいけないことです。これについて、国保の方には低所得者層が多くいるために、その弱者対策として、もっとつくば市の補てんしている金額を倍以上にするべきだ?!という意見を主張する議員の方がいます。本来やってはいけない会計処理をしており、その補てん額を倍以上とは、弱者対策としての意見は理解できるが?!あまりにも無謀な要求とも取れるわけですね。

 

いま、問題になっているつくば市の水道料金の事例も同じような話があります。やはりつくば市の水道会計の赤字を補てんするために、毎年約4億円の補てんをつくば市の一般会計から補てんおります。これに対して、やはり弱者対策として、この補てん額を7~8億円以上にするべきだとの意見を主張する議員さんがおります。そうすれば、水道料金を48%も値上げせずに済むはずだと主張されるわけですね。しかしながら、水道事業は公益事業です。あくまでも受益者負担が原則ですので、一般会計からの補てん金額を大幅に増額してしまっては、公益事業会計の原則を逸脱してしまいます。公共事業と公益事業の区別さえもわからなくなってしまうわけですね。ここで水道担当者としての行政職員の対応は、確かに弱者対策は理解できるがこの要望も「あまりにも無謀な意見」として、丁寧に説明して、議員さんに理解していただけるように努力して説明しております。

 

このように議員と行政担当者との間も、おそらく選挙で選ばれた首長さんと行政担当者との間にも、行政の公平性と選挙で選ばれた意見との、複雑怪奇で様々な事例で、表現したような「折衝」「忖度」「働きかけ」「交渉」がいくらでも日々行われているわけです。

 

しかいながら、やはり民主主義はやはり多数決の原理で、決めていかなければなりません。その民主主義は有権者の総意であることは、政治結果として間違いない事実なのです。この選挙で選ばれた首長さんや議員などの意見は、行政マンとしては、最終的には、優先しなければならないのが、民主主義の原理原則なのは間違いないのです。

 

昨年の市長選挙の時に、当選したのは五十嵐たつお市長が当選しました。五十嵐氏、大泉氏、飯岡氏の3つ巴の結果は、五十嵐市長が当選。この政治結果がすべてで、つくば市政も民主主義の原理に則って、行政運営がスタートしております。(大泉氏と飯岡氏との得票を足せば、五十嵐氏の得票を上回るので、厳密にいえば、五十嵐市長は、丁寧な行政運営をしなければならないということになりますが・・・)

 

 

ちょっと話を戻しますが、先の国会で参考人審議に出席した前川さんもおそらく優秀な人材なのでしょう。「行政が歪められた」ということも、一人の行政マンとしての自信の判断では忸怩たるものがあったのでしょう。実際にそうコメントしてますが・・・。

 

しかしながら、だからと言って、辞めてからベラベラと発言するべきことなのでしょうか?現職の時に自分が考えていた意見を上司に諫言することもできずに、マスコミの偏重報道にのり、民進党の政局に加担した行為は、許されざる者であると感じます。自ら官僚としての能力のなさを露呈していることに気づかないのか?まったくその真意はわかりません。

その理由も何も説得力がないのです。

 

あくまでも例えばの話です。例えば、昨年につくば市の総合運動公園の基本計画が白紙撤回になりましたね。その当時の市原健一市長のもとに進んだ行政計画でした。結果的には、議会が判断して予算案も否決して、政治結果としてすべて済んだ案件です。それを当時の行政担当者が退職した後に、のこのこ出てきて「あの時の市原健一市長の判断は、間違っていた。私はそれを行政が歪められたと思う」などと正義の味方面して、言うのでしょうか?たとえ話がいいのか?どうか?わかりませんが、・・・。そんなことはあり得ない話なのです。

 

第一このトンチンカンな前川などという卑怯者にも腹が立ちますが、前川さんを政治利用する方針を取った野党の政治家どもにも腹が立ちます。特に民進党ですね。蓮舫代表の二二重国籍問題の記者会見でさらに問題の深刻さが増したのではないでしょうか?

 

どちらにしても、私は、この卑怯な対応に怒り心頭です。

 

国政レベルでも地方レベルでも自民党の方針には、少しおかしい?と思うことはあります。しかしながら、他人を批判して、政権を取ろうという卑怯な方法で、政治の勝利を勝ち取ろうとする姿勢は許しがたいことです。

 

民進党の代表が蓮舫さんになってから、民進党さんは特に「他人に厳しく、自分に甘く」なりました。その言葉のシンボルになってしまっています。悲しいですね。

 

先日の行政視察の中で、いろいろな議論をしました。権利主張だけでは、世の中はよくなりません。義務先行をもっと啓蒙しなければならないと思います。社会が権利主張ばかりでは争いは絶えないし、建設的な議論は生まれません。義務先行を政治を携わる人間が率先して取るべきなのですね。(これは自戒も込めて、大いに反省しなければならないでしょう)

 

さて、本日は、地元の吉瀬の祇園祭です。浴びるほど飲もうかな!?