安倍総理の靖国参拝

本日の安倍総理の靖国参拝を受けて、この動画を多くの方に、見ていただきたいですね。安倍総理の真摯な行動を支持します。マスコミがまた変な報道をするでしょうから、この動画を皆さんでシェアしていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
http://youtu.be/UBQ_ra2ktM8

そもそも戦争犯罪者の意味は、第2次世界大戦までは戦時国際法違反者(国際条約の定める戦闘法規に違反する行為を行なった者)を指したが、第2次大戦後は、侵略戦争や国際法に違反する戦争の計画・開始・遂行の責任に関する罪(平和に対する罪)、一般民衆に対する大量殺りく・迫害など人道に反する行為の罪(人道に対する罪)が加えられ、勝戦国である連合軍の告発によって侵略戦争の遂行者が対象になった。
具体的にはA級が侵略戦争の計画・実行者の平和・人道に対する罪、B級が交戦法規違反、C級が民間人の大量殺りくなど人道に対する罪である。
A級戦犯は戦時中の政府・軍部首脳が対象となり、東京とニュルンベルクで国際軍事裁判(A級戦犯裁判)が開かれ、B・C級戦犯は日本のほか、連合国各国の軍事裁判で裁かれた。
簡単に言えば、A級戦犯は「戦争を始める事に関係した人」です。

罪状ですが、(1)は明らかに事後法であり、ポツダム宣言が出された時点では戦争を始める事や、それを遂行する事は国際法やいかなる文明国の法律でも犯罪ではないとされていました。
日本はポツダム宣言を受諾しているのであるから、その内容により戦争犯罪人を裁く事には異論はありませんでしたが、この場合はまったく違います。
最終的には(3)の【通常の戦争犯罪及び人道に対する罪】だけが問われました。
そしてその内容は三つに分かれています。
「戦争法規違反の共同謀議」
「戦争法規違反の命令・授権・許可」
「戦争法規遵守の義務違反」
で、A級戦犯の死刑囚はすべて
「戦争法規違反の命令・授権・許可」
の中で
「違反行為防止責任無視による法規違反」
を問われています。

わかりやすく説明すると、死刑になったのは捕虜を虐待や殺害した罪、もしくはその報告を受けていながら止めなかったという事です。
例えば広田弘毅(ひろた こうき)は、外務大臣ですから捕虜虐待などするわけはありませんが、彼は南京で虐殺があったと報告を受けたにもかかわらず、何の処置もしなかったということで死刑判決が下りました。
その他の被告も同じで、自分が虐待や虐殺をしたわけではなく、それをきちんと取り締まらなかったという事で死刑が確定しています。
しかし戦地で何が起こっているのかを正確に把握する事はほぼ不可能であり、また、南京での虐殺がどの程度だったのかは連合国の資料では見つける事はできず(そんな事実はないのですから、証拠など無くて当然)、その証言自体の信憑性はあまりありません。
しかし、そんな事は彼らにはどうでもよい事でした。
日本にすべての責任を押し付けて片付けようとする日本に恨みを持つ者達の裁判だったという事は明らかです。
ベトナム戦争時にソンミ村における虐殺を命令したアメリカ軍ウエストモーランド将軍や、その上のジョンソン大統領、最近ではイラクファルージャで住民を殺害した現イラクの司令官やブッシュ大統領の責任は問われていません。
その場にいないし、また命令もしていない上官に責任を問う事など不可能だと理解されているからです。
東京裁判のときの口上とは真逆です。

B級戦犯
これは、「犯罪を直接指揮したり命令する立場にあった人」の事で、東京裁判では扱われず横浜・シンガポール・マニラ・南京などあらゆる場所で裁判が開かれ、証人が「多分この人だった」と言うようなあいまいな証言(指差し裁判)により多数が死刑となりました。
弁護人も通訳もつかず、裁かれている方は何の罪で裁かれているのか、また自己弁護をする機会を与えてもらえませんでした。
C級戦犯
これは、命令を受けて犯行を実行した人の事で、B級戦犯同様各地でのあいまいな証言により多くが死刑にされています。
こちらも弁護人も通訳もつかず、裁かれている方は何の罪で裁かれているのか、また自己弁護をする機会を与えてもらえませんでした。

ほとんどの日本人兵士が無実だったのではないかとも言われており、少なくとも3人に一人は確実にえん罪だったと言われています。

死刑囚が絶望のなか、「我々が人々の憎しみや怨嗟の気持ちを受け止めて、それを持って死ねばいい。我々の死で持って、お互いに憎み合うことをやめてほしい。」「誰かが死ななければならないのです。ならば潔く死んでみせましょう。日中友好万歳!」
など、言葉を残しています。
戦後、アメリカに洗脳教育された日本では戦犯を悪く言う風潮がありましたが、彼らや戦地に行って散った者たちこそ、祖国のために戦い、汚名を着せられて、なおそれを受け止めた方々です。

ちなみに、日中友好を世界で初めて唱えたのは中国で処刑された戦犯の方々です。(この方々は無実でしたが、処刑されました。)