『シラス』と『ウシハク』と井上 毅

憲法改正の議論がある中で、日本のあるべき憲法とは何なのか?を考える上で、やはり日本の建国の歴史を顧みる必然性はあるべきだ。

明治憲法の策定に当たった井上毅(いのうえ こわし)。歴史上で彼の仕事を参照することは、この必然性に値する。

古事記や日本書記に記されている国を治める事の言葉に『ウシハク』と『シラス』という言葉が出てくる。どちらも「統治すること」の意味だ。違いは、天照大御神や天皇が統治する場合は『シラス』。天皇は、民の心によく耳を傾けて現状を知り、民の心を自分の心として民の幸せを祈り願う、そして統治することが『シラス』になります。

一方、豪族が戦を繰り返して、力を背景にして統治する意味合いがあるのが『ウシハク』となります。

同じ統治する言葉でも意味合いがまったく対照的で、内容も全然違いますね。

もちろん日本のあるべき姿は『シラス』であり、他の国の統治の方法は『ウシハク』ということになるでしょう。

明治憲法の策定にあたって井上毅が一番研究して重要視したポイントがこの統治の仕分けだった。『シラス』の概念を如何に明治憲法の条文に表現するか?その作業に全精力をかけたという。

憲法改正議論は、時代に沿って変えるだけが理由ではない。最も重要なのは、戦争に負けた結果、主権を失われて勝者のアメリカに押し付けられた憲法だから見直すべきなのだ。

日本の本来の憲法を作り直すことに重点をおいて、しっかりとした丁寧な日本の国体に沿った自然な憲法を考えるべきだ。

常に力で戦や殺戮によって統治された国家(『ウシハク』による国家)と八百万の神が議論を重ねて結論を出していく『シラス』による国家(日本)では大きく違うのだから。

平成の井上 毅が必要だということになる。

(□昨夜の文献を読んで・・・内容は抜粋しています。)