「恩送り」の逸話から

小冊子に書かれてあったチョットいい話なので、紹介したいと思います。

日常生活を送る中では、ことの大小を問わず、他人から親切にされたり助けられたりすることがあるものです。その相手が見返りを期待して親切にしたわけでもなくとも、お世話になったことに対して恩を感じ、お返しをしようとするのは、ごく自然なことでしょう。
それでは「一度出会っただけで、名前も分からない人に助けられたりした恩」などに対しては、どのように報いていくことができるでしょうか?

1985年(昭和60年)。イラン・イラク戦争中の時。イラク側が「イランの首都テヘラン上空を航行する航空機は、どこの国のものであろうと撃墜する」という方針を決定しました。
日本政府は現地にいた日本人の救出のために手を尽くしますが、限られたタイムリミットはわずか二日後。もはや万事休すという事態に追い込まれた。
この時に取り残された日本人215名を救出してくれたのがトルコ航空機でした。現地のトルコ大使館から日本の大使館へ「日本人に席を割り当てるから利用せよ」と連絡が入り、間一髪、無事に救出することができたのです。
トルコの人たちはなぜ、危険を冒してまで日本人を助けてくれたのでしょうか?

1890(明治23年)。トルコからの初の使節団を乗せた船、エルトゥールル号が日本を訪れました。使節団は3ヶ月間の日本滞在を経て帰国の途に就きましたが、折悪しく台風に遭遇し、エルトゥールル号は和歌山県の串本沖で沈没し600名以上が海に投げ出されました。
直ちにその救出に乗り出したのは、和歌山県沖に浮かぶ紀伊大島の島民たちでした。現場は約60メートルの崖下にある海です。しかし島民たちは、一人でも多くの生存者を助けようと、ひるむことなく海に降り立つと、息も絶え絶えそうな遭難者を背負って絶壁をよじ登りました。そして傷の手当はもちろんのこと、冷え切った体を抱き寄せて自分の体温を分け与え、さらには非常事態に備えて蓄えてあった食料の一切を提供するなど、懸命にその救出にあたり、結果として、69名のトルコ人が助かったのです。
このエルトゥールル号遭難時のエピソードは、トルコの歴史教科書にも掲載されており、トルコでは誰もが知るほどの歴史上重要な出来事であります。
トルコの人たちはなぜ、危険を冒してまで日本人を助けてくれたのでしょうか?その答えは、「トルコ人の親日感情でした。その原点は、1890年のエルトゥールル号 の海難事故です。」平成13年、駐日トルコ大使のヤマシ・バシュクットは平成13年5月6日付の産経新聞でコメントしています。まさに95年前の日本の先人たちによるトルコ人遭難者への献身が、トルコの人たちの胸に「恩」として刻まれ、後世に「送られてきた」ということができます。

自分を助けてくれた人や親切にしてくれた人に対して直接的にその恩を返すことは、もちろん大切です。
一方で、行きずりの人から受けた恩など、「本人に直接返す」ということが難しい場合も意外に多いものです。
そうした場合に大切にしたいのが、恩人への感謝の心を「ほかの人への善意」に転じて、「次の人」に送っていくという考え方です。
日本とトルコの交流史の中にある「恩送り」の逸話から、学ぶべきことが多くあります。