知覧特攻平和会館の視察

言うまでもなく、特攻で散っていった先人たちの記録が多く残されている記念館の視察です。
大東亜戦争の末期に、特攻作戦という人類史上類をみない体験を根底に全人類史視野に立って、特攻隊員の遺品や関係資料などを収集保存しております。その記録を後世に残し、平和思想の普及を図ることを目的として建てられた経緯があります。沖縄戦の特攻作戦で戦死された隊員の慰霊に努め、当時の真の姿、遺品、記録を後世に残し、この史実を多くの人に伝えなければならない。もう二度とこのような悲惨な体験はしてはならない。戦争の虚しさ、平和の大切さ、ありがたさ、命の尊さ、そして後世に歴史を正しく伝えなければならないという知覧の住民の責務の上に建立された平和会館であります。
当時、昭和20年(1945)。戦局は急速に最悪の事態を迎えつつあり、本土最南端の陸軍特攻基地となった知覧。特攻隊員は、若い人で17歳。今の高校2年生くらいの年であった。死を覚悟して過ごした短い日々の中で書かれた手紙や遺書には、心を強く打たれる。涙なくしてはいられない。愛する人への想い、感謝の気持ち、思いやり。ありのままを展示してあるので、それぞれの人がどんな想いや考えでいたのかが?ヒシヒシと伝わってくる。普段何気なく生活していることがどんなに尊いことなのか?!「なんと自分は贅沢なのだろう」とつくづく思う。
そしてこれも何故か不思議と自分で感じたことは、「子供たちにちゃんと教えなきゃならない」という想いがとても強くなったことです。
今回の視察で解説をして頂いた方も話していましたが、「なぜ日本は戦争をしなきゃならなかったのか?」「本当の真実はなんだったのか?」「子供たちに間違ったことを教えてしまっては大変なことになる。」これらのコメントがとても印象的でした。今の大人たちが真剣に考えなければならないことだと思いました。ましてや私も政治家の端くれです。その重責は重い。
現在、知覧の方々は、「知覧特攻遺書・知覧からの手紙」をユネスコの世界記憶遺産登録を目指して、活動しております。世界記憶遺産とは、ユネスコが1992年に人類の歴史的な文書・絵画・音楽・フィルムなどの遺産の保護と振興を目的に創設されたものです。現在、日本では「山本作兵衛炭坑記録画・記録文書」「慶長遺欧使節関係資料」「御堂関白記」の3件が登録されております。世界ではフランスの「人権宣言」。オランダの「アンネの日記」などが登録されております。
私もその名簿に署名をしてきました。

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