先日の自治基本条例のあり方検討委員会を傍聴して

自治基本条例のあり方検討委員会の傍聴して、「住民の政治参加」を改めて考えた。政治に関心が無いなど昨今、政治に対する不信がつのり、市民が政治に諦めを感じて、選挙にも行かない。投票もしないという現象に、我々、議員もなんとしても、歯止めをかけなければならないのは、当然と考えている。しかし、一方で、政治にとても関心が高く、国政から地方自治までアクティブに活動されている市民の方もいらっしゃる。

実際に、議会傍聴などに毎回積極的に参加されている方などもいるので、私などもその方の顔と名前を覚えてしまうくらいである。一時、それらの方から政治談議をする機会があった。国政レベルから地方行政のレベルまで、とにかく詳細に私などが目の届かないくらいの幅広い分野まで、ご意見をいただいた。当然、そこには納得する要望や案件があるが、また、一方で、あまりにも権利の主張が過ぎて、公益性を考えるととても受け入れられない事案もある。

政治に参加していただいている方だから、その政治の取り組み、またはその姿勢には、私も見習わなければならない。逆に尊敬に値するわけである。しかし、行き過ぎた権利主張や活動の仕方には、時には、私としてもきちんと毅然とした態度で、協力はできない旨の態度と姿勢を見せなければならない。

一般市民の中に、政治参加を呼びかけ、促し、大いに議論をすべき義務は、議員にある。政治家の義務でもある。国政はもとより地方議員にもその責務は重大だ。しかし、単なる市民の権利主張主義ばかりを呼び起こすわけでもない。大事なのは、市民の良識を引き出すことだ!

あり方検討委員会の委員の議論を聞いていても、きわめて良識な議論が展開されていた。「自治基本条例を必ず作らなければならない!賛成だ!」また逆に「反対だ!怪しい政治勢力が画策しているからだ!」というような単なる政局論争の議論になっていないのである。

一般の市民の方の普段の良識は、表立ってなかなか表現されないものなんだということがよくわかる。良識は、眠っているわけで、それを、私などのような政治家や議員が、政治の表舞台に、眠っている一般市民の良識を引っ張り出して、議論することが非常に大事だと思います。

つくば市の地方行政の今後のまちづくりの行方も、また、国政レベルの日本の今後の行方も、間違いの無い選択を市民がしなければならない。そこには、「良識」の元の政治的な選択や判断、決断が必ず必要だからだ。

議員、政治家の責任が重いということがよくわかる。