平岡公威 について

平岡公威(ひらおかきみたけ) という人を知ってますか?

私は、最近、この方に興味を持っています。昔は、さほどではなかったのですが・・・?
右翼のインテリだとくらいにしか思っていませんでした。しかし、私自身が、この方が亡くなった同じ年齢(45歳だったかな?確か?)になって、特に、いろいろ共感することがあり、彼の文献やコメントに興味関心を持つようになりました。

彼が無くなったときの日本の時代背景は、高度経済成長にあけくれて、日本は豊になっていた。戦後の日本の復興を目指すために、政治も経済も社会全体が、豊になることを目標に、おそらく国民全員がそれを間違いないと確信していたに違いないと思います。ところが彼は、そのことに、憂いを持って、しかも日本はこのままでは、ただ生きるだけを求めるだけで、日本人として、または人間の尊厳というものを忘れてしまうだろうと、杞憂していたわけであります。

古き日本、日本人には、素晴らしい精神が根底にあったんですね。しかし、日本がアメリカに追従して経済成長を優先するようになって、次第に本来の日本の精神が忘れさられ、その日本の精神伝統(武士道ともいうのだろうな)も消えていくのだと考えていたらしいのです。

人間は、ただ生きているわけではない。生きている以上、人間である以上、なんらかの価値観を持っている。その価値観のために、命を擲ってでも死ぬことができるものが日本人だった。
平岡の残した作品に、そのことが多く書かれているようです。(私もすべて読んでいないので・・・。かじった知識の中で)

日本人は、「卑怯」を嫌う。それよりも「卑怯者」よりは、尊厳や価値観を選択して、命を擲ってでも大義を重んじる。戦国時代、日本の武士たちはそういう生き様を歴史に残していった。それが日本の歴史だったということを平岡は言っています。

しかし、日本の高度経済成長と共に、逆に日本は卑しくなっていくわけであります。彼は我慢に我慢を重ねていたのですが、とうとうその忍耐も力尽きて、怒りになり、その怒りは増長するばかり、もはや止められぬ状態になります。そして、平岡は、やはり武士道の道を選択することになります。

人間はいつか必ず死ぬときがくる。同じ生きて死ぬなら、その尊厳や価値観のために、命を擲って死んでみよう。卑しい惨めな生き様で長く生きようと思っても何の意味もないわけで。
そして彼は、それを実践することになります。

彼の心情はすべて時世の句で読み取ることができるでしょう。

「散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐」
自分の自死が何事か世の中に影響を及ぼしたかったということ。もちろん実際には、その通りになった。平岡の自死は今でも多くの人間の中に在り、その死を尊いものだとわかった人間には何事かを与えていると思う。

「益荒男(ますらお)がたばさむ太刀の鞘鳴(さやな)りに幾とせ耐へて今日の初霜」
戦後の卑しくなっていく、雄々しい日本男子(益荒男)の持つ刀は、その怒りに震えが止まらない。
「今日の初霜」は、自分自身がその最初の一人になっていくぞ。後に続いて欲しいとの願いも感じられる。

平岡公威。昭和45年11月25日。決起。

筆名:三島由紀夫