議会議事録に残る意義

昨日の一般質問で、私は「道徳のあり方」について議会議事録に残すことができたことは、意義が大きいと考えている。水道料金の値上げ問題の時もそうだったが、今まで、議事録に残らなかった意見、特にタブーとされていた意見をしっかりと議事録に残すべきだ。

しかしながら、水道料金の値上げなどのように市民負担を強いるような案件は議員としてもなかなか発言しにくいことも事実だ。最初に発言すれば、最初に発言した議員が批判の的になるからだ。しかしながら、現状の諸問題を確実に解決して行くためには、必要な意見は議会で発言しなければならない。しかも議事録に残す残らないでは、その影響は大きな差がある。この議事録に残るか?残らないかは?私が一般質問をする内容を考える一つの目安にしている。

水道料金の値上げ問題も、「値上げ」の発言は議会でなかなか意見として発言されなかった。誰かが言わなければならないのだが、市民負担を強いる発言だけに、批判を避けて、我が身の保身に走る議員心理が働いて、誰も言い出せなかった。もちろん発言するのは簡単ではない。しっかりとした議論の論拠も必要だ。準備にも時間もそれなりに必要だ。
しかし水道料金も、やはりやってよかった。上げ幅には不満が残るが、実際には値上げ案は議会では全会一致で可決された。(共産党まで賛成討論してた。)

今回の一般質問の中で、テーマは「道徳の授業の教科化」でしたが、私が狙った議事録に残す意見は、いじめ問題での道徳基準の言葉を何かしか残したかった。特に「卑怯を許さない」・「卑怯を憎む心」は、議事録に残したかった。

結果は、まさに政治家、私自身のブーメランを含む内容だった。反省しきり。だから、合格点とは行かなかっだ。
議会とは、なかなかうまくいかないと思いながら・・・・。