議会制民主主義の基本を考える。議会と議員の重要性。

議会制民主主義の基本を考える。議会と議員の重要性。

安保法制の国会審議をみても、つくば市の政治の局面を見ても、最近特の思うのは、議会制民主主義の基本中の基本を本当に理解していない人があまりにも多すぎるということを強く感じます。しかも政治家自らがこの基本中の基本を理解していないケースがあまりにも多く感じるわけだ。

安保法制の採決を見ても、国会の手続き上はなんら問題ではありません。野党はアメリカへ行って約束したことを大義がないこと、または国会軽視との批判をされていましたが、安部総理は、昨年の12月の解散総選挙で、安保関連法案も選挙の公約としてきちんと国民に対して政策として提案しておりました。マスコミもこぞって集団的自衛権の解釈変更と今後の法案についての質問もしたし、報道もしたわけです。そして選挙の結果、安倍内閣は自民党だけで3分の2以上の支持を取り付けて、信任を受けたわけです。この選挙結果に基づいて安保関連法案は提出されているわけですので、この法案を「戦争法案」や「戦争する国になる」などと表現すること自体、選挙結果を侮辱している。または軽視していることになるわけです。

Sealdsという学生、若者がSNSを活用して「自由と民主を守るために」という活動をしてデモをしたようですが、なぜ、このようなムーブメントを昨年の解散総選挙の時に、起さなかったのでしょうか??「民主主義」の意味を理解しているとは到底考えられませんね。安保法案が可決されたあともデモでのシュプレヒコールが、「法案に賛成した議員を落選させよう」と変わったようですが・・・・。これも言葉が違うだろう?!まったく理解できません。正解は「私たちの考え方を実現してくれる議員を当選させよう」でしょう。本当に品格もなし、言葉遣いの礼儀作法もなってないし、第一、選挙で「落選させよう」という発想って、異常な心理状態ですね。危険さを感じますが・・・。ま、よく勉強して欲しいと思います。

つくば市でも総合運動公園整備基本計画にもとづく住民投票が行なわれました。つくば市議会での答えは、結局、多数は住民投票をするべきとの選択をしました。住民投票に対する意見が臨時議会でも多数でした。私は、やるべきでないと発言はしましたが、それは結果的に、少数意見でした。結果、反対が8割の賛成2が2割。市長は、すぐに白紙撤回を発表。国体の会場も辞退を茨城県に申し出ました。
市長は9月の議会でも「住民投票にはして欲しくはなかった。しかし、議会での結果を踏まえて、しかたなかった」と発言。また投票方式の件でも、「見直しを入れた三択方式」を議会に取り入れて欲しかったと悔しさもこめた感情を顕にしておりました。
議会での結果は重かったともいえる。

もともと総合運動公園の基本計画案は3月の議会では、反対と賛成同数で、議長採決により、否決になった。議会はきちんと市長の暴走に歯止めをかけていて、私は、やるべきではなかったと意見を述べたが、それでも結局、議会に住民投票にもっていかれた結果を考えみれば、やはり議会をなめていたとしかいいようがない。

もともと今回の住民投票になった経緯は、よ~く考えてみると、議会構図が、真っ二つの構図が原因とも言えるだろう。その原因は、市長が議会対策を怠ったためだと考えられる。やはり市長は、どこかで議会を軽くみていたんだろうと思う。賛成と反対、または是々非々の議員、全部を含めて、配慮が足りなかった結果が、結局は、住民投票という議会制民主主義を否定するにも近いようなことを許す結果になったと思うからだ。(せっかく私は反対の意思表示をしたのに・・・?!)
そのつけが、最終的には、「白紙撤回」という最悪の結果を招いたと私は考える。そして市長の言葉をあえて借りれば、「市民の要望に応えて提出した案が、市民によって完全否定された」という最悪の評価ではなかったと思う。

当然、市長の政治責任は生じている状態だ。今後も議会でも追求されるべきものだと思うが・・・。

市長は、住民投票の時のいろいろな説明で、「つくば市でも過去に大きな事業をやっているから採算性は問題ない」など、過去のクリーンセンター事業などに比較していろいろ説明していたが、私に言わせれば、事業の採算性はもちろんだが、それは当時の議会が多数を占めて、しっかりコンセンサスを得て採決された議会の結果を得たからだ。この辺の議会での多数を得ていたという議会での結果の説明は全くなかったようだ。そんな印象をうけた。

国会にしても市政にしても、全体的に感じることは、議会制民主主義の基本中の基本。議会、議員の重要性を再度認識する必要があると思うし、政治家である議員自らがこの認識がないために、返って、市民や有権者、国民に大きな影響を与えることになるわけで、政治家、議員自らの厳格な認識を自戒をこめて再度認識するべきだと思う。
今後の発言や行動も、市民からの付託を受けているという重みを感じながら活動をしていかなければならない。